"存在は本質に先行する" 確かサルトルの言葉。


例えば、ナイフは "ものを切るため" という本質があって、そのためには "どんなカタチ、素材が適するか" という存在が後からついていく。人間は? 気がついたらオレは居た。存在していた。つまり存在が先行していた。じゃー本質は? そんなこと人それぞれが決めること。わたくしには本質なんて無いのであります。したがって無神論者?人間は無からやってきて、無に消えていくものだと思っています。死後の世界なんて信じない。死は無。したがって無である死は、わたくしとは無関係なのです。ですから理屈の上では、わたくしにとって死はちぃーとも怖くないのであります。間際に苦しいのや、痛いのは嫌だけど・・・・。


わたくしにとっての本質とは何か? そんなものありゃーしない。強いて言えば快楽か? 生きている時間なんてのは、それこそ幻の一瞬。モットーなんてのがあるとしたら、「我が身の自由を大切に!だから他人の自由を尊重する!」しかし、"私の自由は貴方の自由を制限する(当然その逆もある)" というところが1番の悩みとなります。これはある意味で嫉妬心の克服でもあります。愛する女が他の男に走ったら・・・・それは地獄。しかし、その地獄を受け入れること。わたくしは何度地獄を見てきたことか?それが相手の自由を認めることであるし、己の自由を確保することにも繋がると考えるのです。死もそうです。決して死や、病に刃向かはない。受け入れることです。


今月、何故こんな話になっているのか? といいますと、実は昨12月20日より病に倒れまして、死を覚悟したからであります。1ヶ月以上の生まれて初めての入院。アップダウンの病状。楽しい入院生活でした。自分で自分の人生観を見つめることができました。わたくしって本当にたぐいまれなる良い性格の持ち主なのです。それがよくわかりました。


確かにわたくしの底にあるのは、ニヒリズム、虚無的スタンス。しかしここが良い処なのですが、それ故のたぐいまれなる超楽天主義者なのです。超極楽トンボなのであります。入院生活は楽しかったし、辛い検査もどんなことやるのか興味津々。面白がることができました。ひょっとすると死の瞬間ですら楽しむことができるかもしれません?だけど、もう少しでいいから生を楽しみたいネ・・・・。今年も巨人が負けるのを楽し観たいし。オリンピックは嫌いだけど気にはなるし。そして何よりも美味しいものを食べたい。本も沢山読みたいし、映画も見たい、プロ協会も変えたい。そして、まだまだ・・・・?その他諸々。


てなことで、皆様にご心配かけたり、ご無沙汰したりで申し訳ございませんでした。まだ療養は続きますが、変わらずスーパーボウルをよろしくお願いいたします。


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すみ光保

すみ光保(すみみつやす)

■1935年東京都生まれ。株式会社スミ代表取締役。1967年にライセンスNo.4第1期生プロボウラーとしてデビューする。ボウリングインストラクターライセンスはマスター。
主な著作は、子供とボウリング(ぎょうせい出版)、ボウリング(ぎょうせい出版)、VJボウリング(日本テレビ出版)、NBCJインストラクターマニュアル、ブランズウィック発行マニュアルなど多数。

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